このコーナーでは、在校生が書いた作文をご紹介していきます。
今回は、今年度のARCスピーチ大会で第1位となった学生のスピーチ原稿を掲載いたします。
目立っても、なじめなくても
シューマッカー キャサリン マリー(アメリカ)
皆さんは誰かにじっと見られたとき、どう感じますか?
不安を感じますか。
「顔に何かついてるのかな?怒ってるのかな??」
それとも余裕で受け止めますか。
「ワタクシは注目を浴びて当然だわ。」
私は日本に来てから、毎日、ずっと人から見られています。
一方、私の国アメリカは多様性の国です。
しかし、日本では人口の約98%が日本人で、見た目も似ているからこそ、調和が大切な価値になっているのです。
そんな日本の環境の中で、私はときどき、自分の見た目がその調和を乱してしまうのではないかと不安になります。
私は背が高く、白人で、体も大きいため、アメリカでは「ちょっと背が高いね」と言われる程度でも、日本ではまるで『進撃の巨人』から出てきたように見られるのです。
例えばこんなことがありました。
引っ越したばかりのころ、近所の工事現場の人たちは私を見て、「こんにちは」ではなく、驚いた声でただ「高っ!」と言いました。
そのとき私は思わず笑ってしまいましたが、同時に少し悲しい気持ちにもなりました。
「もしかしてこんな私は、迷惑かな」と悩んだこともありました。
けれど最近、見た目や人種の違いも、社会に小さな役割を果たすことがあると感じるようになりました。
ある日スーパーで、2人の子どもが棚の陰からこっそり私を見て、くすくす笑いました。
私は気づいて「はー、また巨人扱いか」と思いましたが、笑顔で「こんにちは」と手を振ると、子どもたちはさらに笑いながら、恥ずかしそうに手を振り返してくれました。
その瞬間、私がそこにいるだけで、人の好奇心をくすぐり、笑顔を生み出すことができるのだと気づき、とても嬉しかったのです。
違う背景を持つ人がいることで、日常が少し揺さぶられ、世界が広がることもあるのだと実感しました。
調和とは、みんなが同じであることではなく、違いを認め合いながら全体としてバランスを保つこと、つまり「違いのハーモニー」でもあると、私は大切に考えています。
たとえ人種や見た目で完全に溶け込めなくても、この社会の調和の一部になれると私は信じています。

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